こんなにすてきなメールを頂きましたので、是非、皆さんにご紹介したいと思いますので、ご感想や同じような素敵なお話がございましたら、お聞きになられましたお話でも構いませんので島屋のメールの方へ書き込みをよろしくお願いいたします。 なお、お話連載に関しましてお名前(イニシャル、ニックネームでもいいですよ)を記載させて頂いても良いかをお知らせ下さい。(メールはこちら)

今までに、いただいた素敵なお話です。

このお話は、私店長が感動したお話です。

私が店に一人でいたときの事です。40代の女性が電話帳で当店を知りこられました
お話を聞くと、着たい着物があるがシミがついていたり寸法が合わないので部分直しや、お仕立て直しをして欲しいとのことで、お品を拝見しましたが相当大きくて古く濃いシミが上前に付いていて綺麗になるには難しいお品でした。
また良く見ると、ウールの着物で虫食いの跡もありそのことも伝えてお直しを承りました。


そのお客様は、とても喜ばれ『どこの呉服屋さんに相談してもこのきものは、そこまでお金をかけて着るには値のない着物です』と言われたそうです。 お話を聞くと『この着物は、亡くなった私の母が私がまだ小さい時に私の枕元で子守唄を歌いながら薄暗い中で縫っていた着物です。 私は、今まで全く着物は好きでありませんでしたが母の箪笥を整理しているとこの見覚えのある懐かしい着物を見た瞬間に苦労をかけた母を思い出し涙を流した着物なので是非、私も着て見たいと思ってデパートや他の呉服屋さんも回ってみましたが、断られました』とのことでしたが、その話を聞いて私は何とかしてあげたいと思い、悉皆屋さん(しみ抜きや、丸洗い、洗張りなどをしてくださるところ)と相談して多少やはりしみなどは残りましたが、お客さの希望に近い状態まで、頑張ってみました。
お品が出来上がりお渡しのときにお客様は、「これで母もきっと喜びます」と言っていただけました。




父の娘への思い

すみませんが前文〜多少省略させて頂きました。

娘が生まれ、娘を囲んでの楽しい生活の中、娘の顔を見る度に私は『この子だけには自分か着られなかった振袖を絶対着せよう』と思い、主人は「嫁には出さない」とよく言っていました。そんな幸福な時、主人は風邪が原因で病弱になってしまいました。

娘が中学生になった頃より、主人の病気はだんだんひどくなっていきました。入退院の繰り返しのある日、「お母さん、娘の成人式には振袖を着せてやってくれよ」と突然話しだした主人。 私は「もちろんよ 私の成人式は、そんな贅沢な振袖は着ること出来なかったから、この子だけにはどうしても着させて上げたい、あなたに晴れ姿を見てもらうから楽しみにしていてね」と言ったものの、胸騒ぎがして、落ち着きませんでした。そして何回目かの入院で、主人はとうとう他界してしまいました。娘が高校に入学した年でした。

葬儀が終わりやっと落ち着いた頃、主人が勤めていた会社から『ご主人のロッカーの遺品を取りに来て欲しい』と連絡があり、会社に伺いました。 整理をしていると、娘の名前の通帳が出てきて、主人の同僚の方から、『ご主人はいつも娘さんの振袖を買ってやるんだ言っていました』と聞き、思わず涙があふれ出てきました。

高校を卒業した年主人がためてくれたお金で、娘の気に入ったステキな振袖を買う事ができました。何かある時は娘は必ず、その振袖を自慢げに着ていました。やがて成人式を迎える娘の晴れ姿を、一目でも見て欲しかったと思います。その数年後、娘にも好きな人が出来結婚する事になりました。結婚式の日には主人の仏前にて花嫁支度をし、そして仏前に手を合わせて娘は家を出て行きました。 

お色直しは、あの成人式の時の振袖でした。司会の方がナレーションで振袖にまつわる話をされた時、思わずこみ上げてくるものがあり、娘と二人そしてナレーションの方やご出席いただいた方々まで感涙してしまいました。今では昔の思い出話になってしまいましたが、振袖を見るたびに亡き主人を思い出すという娘。私は今、孫のために、振袖貯金をしています。他のものを欲しがっても、私は必ず振袖を買います。亡き主人の為にも・・・・。

 
*店長から一言
  こういう父こそ普段は、物静かな方ではないでしょうか。
  残念ながら、ご主人様はお亡くなりになりましたが、お金では決して買えない素敵な思い出になりましたね。
  お孫さんにも、素敵なこのお話を伝えてあげてください。

祖々母の帯

 私のおばあさんが、その母から貰ったと言っていた帯がおばあさんのところから私のもとに来ました。
実は私は、ほとんど着物を着る機会が無く『きもの』は私とは無縁のものと思っていましたが、せっかくいただいた帯なので何かにしたいと思って裁縫をしている友人に相談すると、柄の部分を使ってコースターとかテーブルの長さに切って、テーブルに敷いてテーブルセンターにしたらいいよと聞いて、早速やってみたいと思い、帯を端からほどこうとかがりの部分を開いて私は思わず手を止めてしまいました。

そこには店長さんのお話の様に、私の祖々母(ひいおばあさんとも言いますね)の名前とおばあさんの名前がもう黄色くなった帯芯に書かれていました。 店長さんの道草を見てこれだ!と思いました。 
もうおばあさんは亡くなってしまいましたが母の話では、その帯は100年以上は昔のものだと聞きました。
 今は、着付を習っていていつかその帯を締めてお墓参りに家族で行きたいと思います。
そして、この帯は娘が33歳になったらしっかりと渡したいと思います。今では、会った事のない祖祖母にも感謝しています。
*店長から一言
最近では、私も年代ものの帯を見ることがなくなってしまい寂しく思っています。
あったことのない、ひいおばあさんからの帯をいつまでも大切にしてください。


母からのプレゼント

 私が高校3年生でもう少しで卒業を向かえるころのことでしたその日は季節はずれの、猛吹雪で帰るのも大変でした。私は、かさを持っていなかったのでコートのフードをかぶり目を開けるのもままならない状態で顔は真っ赤になり下を向きながら家へと向かっていました。 一瞬ですがふと、吹雪が止んだ気がして顔をあげてみるとそこには、今にも折れそうな傘を持っている女性がいました。ハッと思い、私は「おかあさん?」と聞くと何も言わずうなずきました。

私が小学4年の時に父と離婚した母でした。時々、通学の私を見ていたのですが、今日は声を掛けずにはいられなかったとのことでした。
離婚の理由と、なぜ私が父方に預けられたかは分かりませんが母とはその時以来の再開でした。 母の、車に乗って色々なことを話しました。 友達は沢山いるかとか、お父さんはちゃんとしてくれるかとか、進路はどうするとか・・・あっという間に時間は経ち「そろそろ送っていかないとね・・・」という母に私は「お母さん、連絡先を教えて」と聞くと「それだけは今の家族がいるから教えられないの、本当にごめんね。
でも、私から会いに行くから・・・」とのことでした。 私は残念でなりませんでしたが、母の幸せのために、それ以上聞くことはできませんでした。
 ただ母は、「時々あなたの姿を遠くで見ていたの」とのことでした。  私は、残念ながら、またの再会を望み母と分かれました。春になり私は地元に就職が決まり、働いていたその年の冬のことでした、会社に私宛の荷物が届きました。それは母からの振袖のプレゼントで手紙が添えてありました・・・・『京子(仮名)、早いものであなたももう成人を迎えますね。今まで母親らしいことをしたくても出来なかったのですが、これだけは受け取ってください。

ただ帯だけはどうしても揃えてあげる事が出来なかったので、お祖母ちゃんからもらった帯で振袖に合いそうだったので一緒に送りました(新品じゃなくてごめんなさい)そばにいてあげることは出来ないけど、遠くから京子をいつまでも見守っていますので頑張って下さい。あなたは私の自慢の娘ですから、何があっても乗り越えていけると思います。   母より』

帯からは、母やおばあちゃんの香りがして本当に包まれている思いがしました。
帯はだいぶ、着た感じのするものでしたが、私の母とおばあさんの思いが入っていると思うと思わずその帯を握りしめ、声を上げて泣いてしまいシミをつけてしまいました。 下校のときに、母とあったときでも涙は出なかったのですがその振袖と帯を見たときは涙が止まりませんでした。 会社の社長から「君の母は立派な人だね、成人式には必ずこのきものを着るんだよ。どんなに離れていても、子を思う母の気持ちは変わらないからね。」と言ってくれ会社の人みんなで泣いてしまいました。

成人式の時は、どこかに母が見てくれているのではないかと思い探していましたが、残念ながらその後も母に合うことは出来ませんでした。お母さんのお陰で、素敵な振袖を着ることが出来ました。今は、この母からもらった振袖をいつまでも大切にして自分の子供に着せてみたいと思っています。
お母さんありがとう、離れていても私はいつまでもあなたの子供です。お母さんはいつまでも私の自慢の母です。

*店長から一言
私も札幌ですので、猛吹雪の大変さは痛感しています。そんな中での母との再会、良かったですね。
またお母さんと再会できることを願ってやみません。
社長さんも、会社の方もいい方ばかりで良かったですね。
最後まで、京子さんは掲載を拒んでいましたがこんなにすばらしいお話を紹介させていただける喜びに感謝いたします。

天国からのプレゼント



 私の父は、とても頑固で亭主関白な父で仕事はとても熱心で尊敬をしていましたが、家に帰ってきてからはまったく何もしない父でした。
新聞、灰皿、テレビのリモコン、お茶などもまるで昔のテレビドラマみたいに何でも母任せで「おい、たばこ!」、「おい、灰皿!」と
とても亭主関白で私から見ても、母がかわいそうでなりませんでしたので「お父さん、それ位自分で取ったらいいじゃない?」というとものすごく怒られた事が何度もある父でした。

 何かの用事があり、家族で街に出る機会があり食事をして買い物をしていると母が、『そろそろあなたも成人だから、きもの屋さんでも行ってみようか」とのことで3人できもの屋さんに立ち寄りました。
母は、熱心に私のきものを見てくれましたが父は女性の買い物に付き合わされてうんざりとした感じでした。
私のきものを見ていると、母は「あそこにある着物はすごく素敵だね」と見ましたがそれは母が自分用に気にいったもので振袖ではありませんでした。
私も、とても気に入った絞りの振袖がありましたが、チョット高くてビックリしました。

しばらくすると、しびれを切らしたのか父が「いい加減にしろ!早く帰るぞ!」と怒り出しそのまま帰ってきました。
そんなある日、普段はあまりつらい事を口にしない父が「最近ずっと背中がいたい」とのことで病院にいったところ、母と私が呼ばれ医師から「残念ながら旦那さんは肝臓がんで、余命は長くて3ヶ月から半年です。」と言われ、母と二人、頭の中が真っ白になってしまいました。
いくら、気が強い父とはいえお医者さんと相談して告知はしませんでした。 手術も出来ない状態との事で最悪な状態で、そこから先は今、考えても思い出せないくらい、あっという間の出来事でした。 毎日があっという間に過ぎてしまい、悲しいとか、辛いとか言う事はあまり思い出せません。

父が亡くなって、一月くらいが過ぎた頃、以前食事の帰りに立ち寄ったきもの屋さんの社長さんが突然来て『このたびは・・・・御愁傷様でした。実はお亡くなりになったご主人様から、生前、言付けがありこちらをお届けに参りました』と言って荷物を持ってきました。 それは、紛れも無く以前三人でそのお店で見た私の気に入った絞りの振袖と母が気に入った着物でした。 私とは母、ビックリして言葉も出ませんでしたがきもの屋さんの社長さんのお話では、父は自分の病気を感ずいていたようですとのことで、病院に外出届を無理やり出してそのきもの屋さんに出向きその着物を探して父が選んでくれたそうです。 代金の方もその時にいただきましたので・・・・との事でした。
 何より驚いたのは社長さんのお話では『ご主人様はお亡くなりになる10日前にお越しになり、こちらのお品を探されてお選びになりました。』との事でよくあの体調で行ったものだと思い、母と泣いてしまいました。 社長は、自分の命はもうわずかなので最後にほんの少しだけでも家族にお礼がしたいとの事で一生懸命に探していましたよとの事でした。 そして、私が死んだら、仕立てて妻と娘に届けて欲しいとの事で遅くなりましたとの事。
最後に、きもの屋さんの社長さんが帰られる時に『ご主人様からお預かりいたしましたお手紙です』と手紙をいただきました。

『愛する家族へ。 この手紙は、○○○呉服店の社長さんにお願いして着物と一緒に届けてもらっているはずだと思う。 
入院中、先生は何も言わなかったが、自分の体のことは自分が一番よく知っているのでもうあまり長くないことは、気づいていた。皆が私に隠している事の方辛かったと思う・・・・・ありがとう。
残念ながら弘美(仮名)の、成人式までは無理のようなのでこの手紙はきもの屋さんにお願いしてきものと一緒に、届けてもらいます。
佳子(母)と弘美には、今まで何にもしてやれずすまなかったが最後のプレゼントにこのきものを選びましたが、以前二人が気に入っていたものでしょうか? 最後のプレゼントを、何にするか悩んだが二人がきものを探しているときの顔がとても輝いていたのできものにしました。
寸法は、私の言いなりで作ってもらったので間違っていたら直してもらってください。

弘美、母さんをよろしく頼むぞ。自分で選んだ事なら何をしてもいいが、母さんに迷惑が掛かるような事だけは絶対にしてはいけないぞ。
佳子、今まで本当に良くしてくれて感謝してる、こんな事なら二人で温泉にでも旅行に行きたかったな。何にもしてやれないで、最後の最後まで苦労をかけたな・・・・俺がいなくても弘美の事を頼む。 もし、生まれ変われるならもう一度今の家族と暮らして今度は出来るだけ優しい男でありたいと思う。
お前たち家族は、私の自慢の二人です。 これから先、何があっても二人で協力して行って下さい。  今まで、ありがとう・・・・・・・秀雄。』

この手紙は、私にとっても母にとっても父からもらった生涯で最初で最後の手紙でした。 
わたしももっと、親孝行しておけばよかったと思いましたが今はもう・・・・・ お父さんありがとう、大好きなお酒をたくさん飲んでください。


*店長から一言
お亡くなりになる、10日前にきものを探されたと言う事でビックリしました。とても体調が悪く本当に辛い状態だったと思います。
よく私も、お客様に母から娘へ渡すものはあるのですが、父から娘へというものはなかなか無いのでお嬢様にはとても思い出になったのでしょう。

お名前は、全てご本人の意向により仮名となっております。


私の宝物

私は、以前小さな小さな町の呉服屋さんで勤めておりましたがおそらく一生忘れない経験をしましたので、皆さんに聞いていただきたく思います。
何の変化もない、ある日の閉店間際に、制服を着た男子高校生が『まだいいですか?』と来られました。
何かお探しですか?と聞くと『おばあさんに、きものをプレゼントしたい』との事でした。
よく話を聞かせていただくと、彼は幼い頃に母をなくして父と祖母の3人で住んでいるとのことで家の中の仕事はほとんど彼のおばあさんがされ、その仕事が終わると外に出て農家さんの仕事の手伝いをしていたそうです。 

彼曰く『小さい時から家は、貧乏で母がなくなってからはおばあさんが母親代わりで、はいつも自分が犠牲になって僕を育ててくれました。 服を買えなくても、おばあさんは自分の着物をほどいて服を作ってくれたり、自分の食べたいものまで僕にくれてここまで育ててもらいたくさんの苦労をかけたので絶対に自分の卒業式には、僕の服を作ってくれた分の綺麗なきもの姿で自分の晴れ姿を見てもらいたい』とのことでした。 私は、その高校生の話を聞いて今までに感じたことのないすばらしい心の感動に包まれ胸がいっぱいになり熱いものが私の頬を落ちていきました。

その彼のお祖母さんは、毎日着物でしたが良く考えてみるといつも同じような汚れた着物で、家の中の仕事をしてくれていたそうです。
そして、時々ご近所の方が「いつも同じものばかり着て・・・・・」というようなことを祖母に言っているのを聞いて自分で高校生の間、色々なアルバイトをして貯めたお金があるので『どこに行っても、恥ずかしくない綺麗な着物をお祖母さんに着てもらい自分の卒業式に来てもらえるのが夢なんです!』と目を輝かせながら言うのです。

そして『おばさん、僕はこれだけのお金しかないんだけどきもの買えますか・・・・』と言って、ぼろぼろになった茶色い封筒から、お札や1円玉まで足して25万円を出されました。
その時、私はこの25万円はその金額以上の値のあるものと思いました。 「おばあさんに、どんな着物を着せて上げたいの?」と私が聞くと彼がジーと店内を探して『これがいいと思います』といって広げてみた着物と帯ははとてもとても素敵な着物でしたが、彼の貯めたお金では残念ながら、手の届くものでは有りませんでしたがお店の社長さんに相談してみようと思いましたがあいにくの留守でお店には私一人。  まだ、今のように携帯電話もない頃でしたから連絡の取りようも有りませんでしたが、私はその子の事を自分の子供のように思え、「私がなんとか、社長にお願いしてみるね」と言いましたがもし無理でも差額は私がその子の為に払うつもりでした。

彼のおばあさんを思う心美しさはは、私をそう思わせるに十分すぎるほどの感動でした。 『では、また明日来てみます』と彼は帰られました。
その日は、その高校生が帰ってからどうしても社長にお話したくて、社長のお宅へお邪魔しましてその日の出来事を全部奥様にも聞いていただきました。
すると、社長さんが「そうか、・・・・・25万も、いただけないな・・・・・・草履やコートも選んでいただきなさい」と言っていただき社長の奥様からは新品のかんざし、ショール、バックや小物までその彼にプレゼントして下さいといただきました。
社長ご夫妻の、ご配慮にも感動してその日の私は家に帰っても嬉しくて涙が止まらなかったのを覚えています。

翌日、その高校生がが来店され社長と私で昨日のことを伝えると『本当ですか!』と、とても喜んでいました。
しばらくして、全てのきものが揃い私はその高校生と一緒にご自宅へ伺い彼のお婆様にお会いすることが出来、その手を見た瞬間涙が溢れてきて止めようがありませんでした。 それは、彼が言っていた通りご苦労された様子がその手に現れていたからです。 私はいつも、綺麗な着物を触らせていただきそのお婆様から比べると何の苦労もしていないような手を、思わず隠してしまいまい自分が恥ずかしくも思えました。
お婆様は、着物をご覧になり『どうしたの?これはどうしたの?』と繰り返していました。

 その高校生は『ばあちゃんには、今まで色々世話になったからこの着物をプレゼントしたいんだ、そして僕の卒業式には是非来て欲しいんだ』 まだ涙の、止まらない私と共にお婆様まで泣き始めると私もまた・・・・・とても感動でいくつ涙があっても足りないくらいでした。
お婆様が喜ばれたのは、言うまでもありません。

卒業式も間近になったころ社長さんが「あなたも、彼の卒業式に行って上げなさい」と言っていただき、言葉に甘えて彼の晴れ姿をこの目にしっかりと焼きつかせていただきました。 卒業式が終わり、お婆様と彼と三人で記念写真を撮らせていただきましたが、その写真は仕事を辞めた今でも私の大切な宝物で何か辛いこと苦しいことなどがある時、その写真を見ると自分が元気になります。 
その彼とは、今でも年賀状のやり取りはさせていただいております。


*店長から一言
私もきものを、販売させていただいている立場のものとしてこのような経験を一生のうちに一度は経験したいと思います。
きっと、感動で仕事にならないと思いますが・・・・・・
今のご時世は、親子の間でもでも殺人が起きる時代なのにまだこんなに、心の澄んだ学生さんが本当にいるなんて・・・・・
私も見習わなくてはいけませんね。


これらの素敵なお話は、皆さんからいただきましたメールを許可を得てご紹介させていただいております。
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